
どうも、川野です。
今回は
前回のプロフィールの続きです!
↑の記事では、
月収18万円の
貧乏サラリーマンだった僕が
突然の会社倒産で無職になった…
サラリーマンなんて
一生懸命、頑張っても
- 給料は上がらんし、
- 社長の自分勝手で会社倒産するし、
なんも安全・安心なことあらへんやんけー!
僕は
「サラリーマン恐怖症」
となってしまいました。
ってお話でした。
そして、
31歳なのに無職の生活…
1日1日
「早く、食っていくために働かないと…」
焦りが募る日々…
だけど…
再就職するの
サラリーマンに戻るの
嫌だなー怖いなー
でも、妻子持ちでアルバイトとか…
体裁悪いなー
僕は
葛藤していました。
そんな川野がどうやって
将来、ブログで年収1000万円を稼げるようになったのか。
プロフィール【その2】的な話を
語っていきます!
というか
このブログタイトルでネタバレなのですがw
無職になって
再就職したくない!
となっていた僕は
無謀にも
- 起業!
- 独立!
- 一旗上げて会社を作るぞ!
という道を選びました!
突然、どーした川野!?
ということで
なんで、そんな事になったのか?
そして起業してどうなったのか?
お話をしていきます。
起業するまでの道のり
31歳で無職になった川野。
早く働きださないといけない…
焦る日々…
そんな時でした。
一緒に人材派遣会社で働いていた
僕と同じ様に「会社倒産」で
理不尽な解雇を喰らった
年齢が一コ下の同僚から連絡があり
「川野さん、飲みに行きませんか?」
と誘いがありました。
彼も僕と同じく
「会社倒産→リストラ」の被害者…
今は無職…
僕は心の中で
「飲みに行ってる場合じゃないんだけど…」
と思いながらも
同志の誘いを
断るわけには、いかん…
自分の明日すら見えない川野だが…
誘われるままにフラフラと
同僚と飲みに行きました。
お酒を飲み
二人で倒産した会社の文句を言いながら
少し時間が経って
同僚は言いました。
「川野さん、二人で人材派遣のノウハウをパクって会社を立ち上げませんか?」
酔って言ってるわけでもなく…
冗談で言ってる雰囲気でもなく…
彼は本気でした。
今日、彼は元々、
その話をするために
僕を飲みに誘ったとのことでした。
突然の話でしたが
僕はそれを聞いて
雷に打たれたような
衝撃が身体に走りました!
一気に酔いが覚めました!
「そうか!」
「サラリーマンに戻りたくないなら、自分で会社すればいいんだ!」
まさに灯台下暗し!
サラリーマンでもなく、
アルバイトでもなく、
お金を稼ぐ方法!
起業!
自分で会社を作って稼ぐ!
その方法があったやないか!
でも、待てよ…
本当にそんな事、
できるか!?
いや、でも一人なら確実に無理だけど
二人なら、
なんとかなるかも…
その後は、二人で
あれはどーする?
これはどーする?
起業するにあたっての問題点を
一緒に考えて、潰していきました。
話をしていくと
本当に「起業」というものが
遠い存在ではなく、
現実可能な世界に見えてきました。
これは、
一旗あげるしかない!
俺たちはやったるぞ!
少しはお酒の力もあったのかもしれませんが
僕ら二人は起業することに決めたのでした!
全反対!
まぁ、当たり前の話ですが
嫁は起業に「大反対」しました。
周りの友人や先輩も反対しました。
時は、2009年
リーマンショック後に
会社がバタバタ倒産している時です。
「今は絶対に独立しない方がいい!」
みんなが言いました。
しかし、すでに自分たちの計画に酔っていた川野。
「サラリーマンには戻りたくない!」
「絶対に起業するんだ!」
そう決意していました。
周りの人間はともかく、
僕は必死に嫁を説得しました。
「もうサラリーマンで働きたくないんだ!」
「絶対にメッチャ稼いで、貧乏から抜け出してみせる!」
「給料100万円、稼いでくるから!」
しつこい僕の説得で
嫁は渋々、
OKを出してくれました。
さぁ、いよいよ伝説の幕開けじゃ!
満足な資金もないまま
僕はサラリーマンの頃に作っていたカードで借金
+
家の車を売って「軽自動車」に乗り換えて
なんとか事業立ち上げの資金を作りました。
伝説の幕開けは!?
脱サラして独立!
なんだか、俺の人生
エライこっちゃになってきたぞ!
と思いながらも
サラリーマンの頃に感じていた
「あー今日も仕事かーだるいな―」
とか、
覇気のない人生じゃなく
「絶対に成功してやる!」
という気持ちで
僕の新たな人生がスタートしました!
勢いは
すごかった!
- 昔の取引先
- 新規の取引先
営業に行きまくった!
しかし!
どこに行っても
「え?派遣会社?」
「いやいや、仕事もヒマやのに人なんかいらんよー」
「なんだ?コイツ?こんな不景気に人材派遣会社の営業とか…頭おかしいのかよ…空気読めねえヤツ…」
オール断られました。
本当に昔から懇意にしていた取引先が
1社、2社…
まぁ、川野くんのところだから使ってあげるよ…的な…
お情けな感じで
仕事をもらうことが出来ました。
が!
そんなことじゃー
全く売上げが立たない!
毎月の自分たちの給料すら賄えない!
僕らの起業は
周りの人たちが言っていた通り…
リーマンショックの不景気の余波を
思いっきり喰らった状態でのスタート。
自分たちの毎月の給料すら
満足に発生しない
赤字経営からのスタートとなったのでした。
耐えるしかない…
起業して3ヵ月もすると
売上げ的に
マジでシャレにならない状況になっている…
という事が判明しました。
事務所の家賃・光熱費
人材派遣の求人広告費のお金
必要最低限の経費だけで赤字です…
このままじゃ、
俺たちも倒産してしまう…
僕らは焦りました。
「なにがなんでも、会社を倒産させたくない!」
独立に反対した人たちに
「ほらな、失敗したやろ」
なんて
絶対に言われたくない!
もはや、意地でした。
でも、意地やプライドだけで
飯は食っていけません…
僕としては、
嫁・息子2人
とにかく家族4人…
生活していかなきゃいけない!
お金がない!
なので、
昼間は自分たちの事業の
売上げを伸ばすことを頑張りながら
夜中に肉体労働のアルバイトをして
生活費を稼ぐことになりました…
おっさんになって
20代前半の頃にやるような、運送会社の倉庫でのアルバイト…
クソ重たい荷物を
トラックに積みながら
汗がポタポタ垂れてくる…
「俺、何やってるんだ…」
「なんで、こんなことになってしまったんだ…」
「このままで、俺、大丈夫なのか…」
毎日、毎日
荷物をトラックに積みながら…
不安な気持ちが
ドンドン膨らんできます…。
僕は
「これは、まだ、勝ちへの途中!」
「成功への途中なんだ…負けではない…」
そう自分に言い聞かせて
寝る間を惜しんで
馬車馬のごとく働きました。
だけど、自分たちの事業の売上げは
1年経っても、
2年経っても…
思うように上がりませんでした。
なんとか、
会社を倒産させることだけは避けて
自分の身を削って事業をしている…
そんな感じで
5年の月日が流れました。
そして、一緒に事業をやってきた同僚が…
「もう無理や、川野、俺、サラリーマンに戻るわ…」
ということで
会社を抜けました…。
僕は一人で事業を続けることになりました。
「絶対にあきらめたくない…」
その気持ちだけで
なんとか、一日、また一日
耐え凌いでいました。
不幸の連鎖
さらなる試練が
僕を襲います。
父親が「喉頭がん」になります。
入院して放射線治療・抗がん剤治療を行う必要がありました。
もちろん治療費に
お金がかかります。
高額医療費制度のおかげで
抗がん剤治療などの治療費は
なんとかなりましたが
入院代などで
お金がめっちゃかかりました。
ちなみに両親もすでに年金暮らしで
生活に余裕はありません。
さらに親父は
生命保険(がん保険)にも入ってなかった…
さらにさらに!
追い打ちで
親父を心配していた母親が心労で
統合失調症となりました。
施設に入居しました。
なんでこのタイミングで…。
W(ダブル)入院状態です。
ますます、
お金がかかります。
僕は、
自分の生活もままならない収入しかありませんでしたが、
自分を育ててくれた両親を見捨てるほど
非情な人間にはなれませんでした。
借金はドンドン増えていきました。
気づけば多重債務で
借金300万円。
人生、オワタ。
僕は絶望のどん底にいました。
なんでこんなことになってしまったんだろう
やはり起業なんてせずに
サラリーマンに戻るべきだったのか…
お金の心配事が尽きない毎日…
借金を支払う
お金がない
電気代を払う
お金がない
ご飯を買う
お金がない
親の病院代に払う
お金がない
わあああああああああ!
僕は頭がおかしくなりそうでした。
不安で夜も眠れなくなり
葛藤の日々でした。
それにしても、
この頃は、マジでお金がなかった。
貧乏カワノ
会社というものを運営していると、
ロクに売上げがなくて
何もしていなくても
月々、軽く10万円ぐらいのお金がかかる。
- 事務所の家賃
- 光熱費
- 通信費
- 広告宣伝費(人材派遣なので求人広告をうたないといけない)
ランニングコストというやつだ。
会社というのは、
見えないところで
お金だけが、
やたらとかかるのだ。
何も知らないで起業すると、
そんなリスクが潜んでいることにも気づかない…。
ヒーヒー言わなきゃいけない羽目になる…。
その上、両親の病院代。
借金の返済…
昼も夜も働いているのに
お金が回らない…
この頃は嫁もパートに出てくれていたが
どれだけ頑張って働いても
お金は右から左…
手元に残ることなく消えていった。
そのせいで、
僕の貧乏っぷりは凄惨を極めていた。
特に食費は極限まで節約された。
スーパーのセールで
お一人様1パック¥100の玉子を
家族4人で買いにいくのが当たり前だった。
当時、小学生の息子2人もレジに並ばせ
玉子を4パック買うことが
川野家のルーティンだった。
店員さんは
こんな顔になっていた。
恥の気持ちもあったけど、
そんなこと言ってられなかった。
1パック¥100の玉子は川野家にとって
貴重なタンパク源だった。
1食¥10の食生活
この頃、僕は
閉店間際のスーパーに行けば
賞味期限切れかけの色んなものが
安くなっていることを発見します。
498円の弁当が
半額になっていたり、
1玉40円のうどん玉が
5円になっていたり!
僕は
うどんの神が現れた!
そう思いました。
僕は賞味期限切れかけの1玉5円のうどんを
ありったけ買いました。
とにかく買って帰って
家で冷凍庫にぶち込みます。
食べる時に2玉ゆでで
醤油をぶっかけて食べる。
こうすることによって1食10円で
お腹一杯、
うどんを食べることが出来た…。
さすがに子供に毎日、うどんは
栄養バランス的に良くないので
普通の食事も織り交ぜてましたが
僕は、ほぼ毎日、
うどんでした。
ギリギリの生活でした。
自動販売機で
缶コーヒーを買う事すら贅沢でした。
チップスターを食べることが
富の象徴とされていました。
子供の誕生日は「吉野家」の牛丼でした。
嫁の結婚指輪を
「金銀の買い取り」業者に売って
家賃や携帯代を
支払ったりもしました。
息子たちのお年玉を
「貯金しておいてあげる」名目で取り上げて
それで光熱費を払っていた…
完全に毒親である…
情けない…。
いつも頭に出てくる言葉は
俺は、間違っているのだろうか…
理不尽を受け入れてでも、
サラリーマンに戻るべきだろうか…
その事を考えない日はなかった。
やはり、起業が間違っていたのか?
来る日も来る日も
お金がないという悩みで
頭がおかしくなりそうだった。
そして2016年も終わろうとしていたクリスマスイブ
僕に転機が訪れた。
僕は生まれ変わりたい!
いつもと変わらない貧乏な毎日。
クリスマスイブも川野家では
平日と変わりません。
ケーキもチキンもありません。
その日も
夜勤バイトがあったので
仕事に行こうとしたら妻から
「これ、見て」と言って
手紙を渡されました。
そこには息子の字で
——
サンタさんへ
クリスマスプレゼントはwii Uが欲しいです!
マリオメーカーが欲しいです!
学校でゲームを持ってないのは僕だけです。
みんなにバカにされます!
だから、絶対にwii Uをください!
——
そう書かれていました。
妻から聞いたのですが、
息子はゲームを持っていないせいで
友達から「仲間外れ」にされて
泣いて帰ってきたことが何回かあったそうです。
貧乏が原因で
息子が学校でいじめられている。
そう思うと
胸が締め付けられ
息が詰まった。
何とかしてあげたくても現実は厳しく
お金がない。
「ごめん、今は、なんともできないわ」
なんとか声を絞り出して
妻に伝え、
息子の寝顔に謝って
仕事に行きました。
年の瀬。
クソ寒い倉庫での肉体労働を終え
朝、家に帰ったら
息子が泣きじゃくっていました。
起きても
クリスマスプレゼント
wii Uが届いてなかった。
サンタさんプレゼント持ってきてくれなかったー!!!
また、学校でみんなにバカにされるー!
イヤやー!
学校行きたくないー!
息子がぐずったりすると
「泣いてても、なんも変わらへんで!」
と普段は厳しい妻が
その時は優しく
サンタさんも
忙しいからな
今年はうちに来られへんかったんかな~。
ええ子にしてたら来年は
絶対にウチに来てくれるよ。
ゲーム持ってないことで
バカにしてくるヤツらは
本当のお友達じゃないよ
そう言って息子を優しく抱きしめて
なぐさめていました。
全俺が泣きました。
クリスマスプレゼントも買ってあげれない情けない父親。
学校で嫌な思いをしている息子を助けれない父親。
貧乏な生活。
毎日、毎日、うどんばっかり
朝も夜も働いて頑張ってるのに
貧乏から抜け出せない…
子供の誕生日に吉野家しか連れていけない…
子供のお年玉も取り上げて何年になるよ…
いつまで経っても家族を笑顔にできない…
今、なんで俺の息子、泣いてるねん!
いつまで嫁に苦労かけるつもりやねん!
なんでこんな事になってしまったんだ。
こんな自分いやだ! 俺は生まれ変わりたい!
ちゃんとお金を稼いで
息子にプレゼントを買ってあげたい!
貧乏から抜け出したい!
毎月、毎月
借金の返済に追われる人生なんて嫌だ!
チクショー!
心の底から
色んな感情が湧き上がってきました。
怒りに似た感情でした。
サラリーマンに戻るのがイヤなら
自分の事業で
しっかりと稼がないといけない!
それまで、
どこか甘ったれていた自分を見つめ直し、
もう息子を泣かしてはいけない!
家族を笑顔にしたい!
僕は本気で貧乏から抜け出してやる!
そう決意しました。
人材派遣の仕事にこだわらず、
なんでもいい!
何かお金を稼ぐ手段はないのか
僕は真剣に探しました。
そして世の中には
ネットビジネス
- インターネットを使った物販
- ブログで稼ぐアフィリエイトなど
そういう存在があることを川野は知るのでした!
さて、いよいよ僕がブログで年収1000万円
どーやって稼ぐのか?
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